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「はた(傍)をらく(楽)にする」を作り出すこと。大企業の大切な仕事。

我々の会社は、中小製造業が最終製品を開発して販売することを支援している。 もともとは、リーマンショックによって、大手メーカーが海外進出するに伴い、国内で失われてしまった仕事を、製造業自ら生み出し、それを価値として売ってゆくということを中小企業自らが行うことを支援している会社である。 今回の震災で、数多くの東北地方の製造業が失われてしまった。 その中には、水産加工業者もあるし、伝統的な工芸品を製造・販売していた会社もあっただろう。また微細で精密な部品を作っていた製造業もあるだろう。 会社や工場が失われたということは、それまでそこで働いていた人たちの雇用が大幅に失われてしまったということだ。 事実を淡々とつたえる、アナウンサーのように、「雇用が失われました」と一言で言ってしまうと、その言葉の背景にある数多くの意味が伝わって来ない。 目を閉じて、あなたが、ある日突然、何の前触れも無しに会社が津波で流され、「職を失う」といった状況になった場合、どのような感情を持つのか、想像してみて欲しい。 まず、感じることは、家族を養うための不安だろうか、家のローン返済や、子供の教育費用や、健康保険、国民年金のことだろうか。 あなたは、自宅も流され、避難所での生活を余儀なくされる。 一呼吸おいて、あなたが避難所で、毎日「うつうつ」として生活をしている状況を想像してみて欲しい。 避難所での生活も1ヶ月も経過すると配給される物資は日に日に数も増え、内容も充実して来る。 しかし、未来もみえず、そう、毎日、避難所で毛布にくるまってうつうつと過ごしている日々。避難所生活も1ヶ月を超えると、余震への恐怖よりも、自分が何もしていない事自体の恐怖が上回る。 そこには、本当に気の滅入る空間だ。ちょっとでもいい、この避難所から外に出て、世の中に為に、意味のある何かをしてみたい。そう感じるはずだ。 そこに、この避難所の近くの商工会議所に東海地域の中小企業から車に乗ったイキいい配電盤の製造・販売会社の経営者が来て、東北を立て直すための仕事づくりを一緒につくろうと声をかけてまわったという噂を耳にする。 働く場所は東海地方になるが、仕事も提供してもらえるだけではく、住居も提供してもらえるということ。また、将来的には、地元に戻ってもらい一緒に工場を運営してらいたい人を探していると。 最初