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経営的観点からみた「坐禅」の影響について

今回のブログは経営的観点から「坐禅」を行う影響について考察してみたい。

 自分の意識の変化と、それに伴う、経営的な変化についてのメモを残すつもりでこのブログを書いている。

 わたしは、毎朝の坐禅をはじめて約5年になる。ほぼ毎朝おこなっているので、すでに1200〜1300回近くは行っている計算だ。きっかけは単純で、起業というものはさまざまな。心理的なプレッシャーがかかるものである。それら精神的な重圧からにげるために最初は見よう見まねで行い始めたのがきっかけだ。

 起業を決意した瞬間からさまざまな「心配」というものとの長い付き合いから始まるのである。その、さまざまな心配とは。。。

 ・自分の収入の心配
 ・社員の「給料」の心配
 ・会社の「保険」や「税務」の心配
 ・家族・親族に対する説明の心配
 ・製品やサービスに関する心配
 ・販路に関する心配
 ・社員などの人事・労務に関する心配
 etc..

などと、その心配のほとんどが、「お金」に関する心配ににつきるのである。その心配から逃げるように、坐禅を5年間実践して、得られた経験を以下メモとして記述したい。

5年間の坐禅を通じて、感じた経営上の意識の変化は以下のとおりである。

(資金・人材・技術・場所) が、「早すぎず」、「遅すぎず」かつ「多すぎず」、「少なすぎず」、絶妙とも思えるタイミングとちょうど良いボリュームで手に入れることができる。

 経営者はとかく、事業のために資金が必要だとか、人材が必要だとか、さまざまなことに悩むものである。

 坐禅をはじめて3年半ぐらい経た頃からであろうか、経営上必要だなと感じた全ての経営リソース(資金・人材・技術・ノウハウ・販路)などが、絶妙なタイミングで目の前に現れるようになった。

 もちろん、そのような経営リソースは全く何の努力もしないで得られるわけではない。意識して、それらを集めるように活動するのであるが、その努力の結果得られるものがタイミングがまさに、早すぎず、遅すぎず、しかも得られるものも、今の経営課題にぴったりなのである。

 起業したての頃は、実のところハラハラしつつ、それらの経営資源が手に入るかどうかということに気を使うことで、まさに「夜も眠れない」という夜を何度も過ごしたことか。

 しかし坐禅をはじめて3年半ぐらいした時から、常に必要な時に、必要ものが、必要なタイミングで目の前に現れるということに気がつくようになる。

 いったんそのことに気がついて、なんども同じようなことが起こり、それが確信に変わると、それまでの無用な心配をすることがいかにバカバカしいことかということが理解できるようになる。

 そして、時間的な余裕ができ、経営本来の、会社全体の長期的な方向性の決定などに意識を集中することができるようになる。



●全ての「商談」が連鎖してつながってゆく。

 とあるプロダクトデザイナーとある案件に関して商談をしていた。残念ながらその商談は条件が折り合わず不成立になり、丁寧にお礼をいって商談をしていたデザイナーと別れる。

 そしてその後、別件の町工場発のモビリティ案件のクラウドファンディング案件に関わることになる。たしかに町工場技術はすばらしいが、デザイン的に完成されていない案件があり、クラウドファンディングを行うためには、どうしてもプロダクトデザイナーのモデリングの技術が必要になる。

 そういえば、直前の商談で話していたデザイナーがそのモデリング技術をもっていたのを思い出して、クラウドファンディング案件のヘルプをfacebookで打診してみると、ちょうどそのデザイナーが学生時代に執念を燃やして開発していたのが、モビリティ案件であったことが発覚し、プロボノとしてお手伝いをしていただけることになる。。。

 というように、上手くいかない商談でも、次の案件の助けになるような案件が続いていく、そのような感じで次々とおこる事象が相互に連携して、一つの無駄も内容に連続して発生するという現象が現れるようになる。

 ほとんど全ての案件が手がかりをもってつながってゆく。案件と案件が極めてシームレスに、連続してつながるようになる。結果としてムダのない動きができるようになる。

 それ以外には以下の様な不思議な感覚を身につけることになる。

・「お礼」や、「感謝の言葉」を他者に対して惜しみなく言うことができる。(全ては自分の延長なので、まるで自分自身に感謝の言葉を言っている、あるいは言われている感覚になる。自分は感謝の言葉を言っているのだが、人から感謝の言葉を言われている不思議な感覚。)

・「競合」とか「敵対的」と思われる会社や人物が、実は自分の肉体の一部のように感じることができ、相手の幸せと成功を心から願えるようになる。結果として、不毛な競争や戦いをしなくなる。(競合他社は、実は自社のように感じられるので自分自身の成功を願っている感覚。)

・自社や自分で獲得した知恵や、ノウハウを他人や、他社に惜しみなく教えることができるようになる。(他人は自分の肉体の延長という感覚なので、自分自身にノウハウを教えている感覚。)

・経営的に困難な判断や、本業のアドバイスを求められた時、自分でも驚くようなアイデアが出てきたり、アドバイスが出てきて、大体がそれで一件落着となる場合が増える。(自分で発想しているのではなく、自分自身の能力を超えた、どこか別の所ソースとつながって発想が出てくる感覚。)

・新たな人との出会いがほとんど「良縁」となり、事業の好循環につながる。

上記のような経営感の変化から、時間的な余裕を持つことが出来る。長期的な視野に立って経営を行うことが出来る。


●結局のところ、全てが「自己暗示」と「思い込み」である。

 まあ、他人から見たら、頭がおかしくなったのかと思われるかも知れないが、これが経営と坐禅を重ねてきて、自分が得られたちょっと不思議な感覚である。

 坐禅による意識拡張がもたらされた結果、自己と他者の領域が極めて曖昧になり、他者も自己の延長という感覚、頭でそう考えるというよりは、本能レベルでそれに近い感覚を感じる。

 上記の感覚を、できるだけ客観的に分析をしてしまうと、結局のところ坐禅をつづけて得られた新たな感覚は「単なる思い込み」であり「自己暗示」である。医学的にいえば「プラシーボ効果」である。

 坐禅をしたからといって、奇跡のように営業数字が急激に向上するわけでもなく、劇的に優良な顧客が増えて営業の数字が上がるわけでもない。単純に自分が幸福感につつまれ、ツイているように感じられるだけである。
 
 実際に営業的な数字をあげるためには、現実に営業活動を地道に行って、地を這いながら新規顧客を獲得して、数字を作り出しているのだ。

 しかしながら、そのような地を這うような営業活動をほとんど辛いと感じたことはなく、逆に非常に面白く感じられるので、ストレスは著しく下がったのは確かだ。

 さらに自分はツイているのだから、判断に誤りがないという「自己暗示」にかかっているので、全ての物事を判断するのに躊躇することが、本当に減った。その結果、思い悩んだり、時間をムダにすることも非常に減った。

 その結果かどうかは分からないが、今のところマイナスには効果していない。たとえば、全国に少しづつではあるが、enmonoの支部と言われる協力者の方々も増えてきた(北九州・東海・北陸など)など協力していただけるせが自然と増えてきた。

 また、「今から参入して勝ち目は無いだろう」周囲からもいわれたり、ネット上でも批判の意見が多かったのだが、最後発ながら立ち上げたクラウドファンディング事業のプロジェクトの達成率が少ないながらも13件掲載して13件達成しており現在の調達率は100%と、自分でも不思議と思えるほど好調を維持しつつ事業をすすめることができた。




 「プラシーボ効果」というのは、医学的には全く意味のない偽薬を用いて、実際にある疾患を改善させる効果があることを言うらしい。プラシーボ効果でもなんでも、ストレスが無く、実績として目に見える経営数字が上がってくれば、それはそれで良いのではないか、というのが今のところのわたしの正直な感覚である。

 今後も、坐禅は続けることになるであろう、さらに3年後、5年後、自分が坐禅を続けながら経営者としてどのように成長できるのかということが、今のところの一番の楽しみである。
 

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