禅に学ぶイノベーションのあり方
「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)
〜イノベーションは外部ではなく、自分の足元にあり!〜
日本のように成熟した市場で既存のビジネスに限界を感じている大企業は、「イノベーション」というキーワードのもと、新たな価値をうみ出そうとしています。
様々な、「イノベーションの起こし方」なるツールが開発され 公開されているように感じされますが、そのツールを使うだけで本当にイノベーションが起こせるのでしょうか?
私は、ツールではなく、イノベーション担当者の心のあり方に関して、我々がzenschoolという中小企業向けイノベーション講座を続ける中で得られた考えを示したいと思います。
イノベーション担当になった製品開発担当は、製品の企画を求めて、世の中の情報を探ります。インターネットを通じて、たくさんのWEBの記事を参考に情報を集めます、またSNSなども活用しつつ、現在どのような製品が市場で流行りつつあるのかということも調査します。
そこで担当者は参考になりそうな関連書籍をたくさん取り寄せ、読んでみたり、その業界の展示会に足しげく通い、情報を集めたりします。
仮にこのようなイノベーションのスタイルを「Me-too」(ミー・トゥー:僕も!)イノベーションと名付けるとしましょう。Me-too(僕も)なので、その言葉のごとく、外部にある情報を元にして同じようなデザイン・同じような機能・同じような価格・同じようなビジネスモデルを参考にして、それらを複合的に組み合わせてビジネスイノベションを行うモデルです。
世の中で手に入りそうな情報をひたすら集め、それを参考にビジネスを企画し、市場を予測していきます。イノベーションにおけるロジカルシンキングの罠でも申し上げましたように、外から得られた情報を元に、製品開発を行うと、非常に似通った製品が市場に氾濫するという事態が発生しやすくなるのです。
インターネット時代の現在では、結果として世の中でえられる情報はほとんど同じな上、一定規模以上の企業がビジネスとして収益をえられる製品やサービスは必然的に似てしまうという結果となります。
つまり、ほとんど同じようなコンセプトの製品が世の中に溢れ、結果としてレッドオーシャンの市場に突入してしまうということです。
また、このMe-tooイノベーションには、積極的に外部とつながり、様々な会社や企業と連携をして新しい価値を生み出そうとする、「オープンイノベーション」の文脈とも一部重なることがあります。
現在多くの大企業が、「オープンイノベーション」という文脈の上に、積極的に会社をオープンする取り組みを開始していますが、あまりにも外部の人間との交流が重なることで、「ところで、自分はなにをしたかったんだったけ?」となる現象も続出するのではないかと考えています。
もう一点、Me-tooイノベーションにより生み出されたものは、社内的に評価されやすく、事業として進めやすくなる傾向にあり、担当自身はワクワクしていなくても、勝手に進んでいくことも多いと思います。
内的イノベーション(手がかりを自社の経営リソース・個人的な経験に求めるモデル)
一方で我々が提案しているイノベーションのモデルが、外部にある情報をつかうのではなく、イノベーション担当者自身の中にある情報のみを使う、内的イノベーションモデルです。
具体的には、イノベーション担当者が「10才の夏休みにどのような事にワクワクしてたのか?」ということを、マインドフルネス瞑想と内観瞑想を組み合わせて、同時にワクワクトレジャーハンティングチャートという物を使い、ワークして取り出してもらいます。
内観瞑想を使って、非常に個人的な経験・体験を取り出しますので、外の人間は全く知らない完全なるオリジナルな情報です。そのオリジナルな情報に、自社あるいは個人の持つ技術や、すでに自社で持ち合わせている経営リソースを掛け合わせて新たなビジネスを生み出すイノベーションをするわけです。
これですと、個人的なワクワク感、あるいは個人的なコンプレックス(例えば子供の時に家が火災にあったり、大病をしたりといったような経験)から来る根源的な感情は、何か新しい事業を行う際に、非常に大きなエネルギー源となります。
結果として事業企画が担当者の自分ごととなり、どのような障害があったとしてもその事業を成立させるためにイノベーション担当者はあきらめることなく動き回ります。
イノベーションは自分の足元にあり!「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)のススメ
禅の言葉で「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)という言葉があります。何か問題にぶつかった時の解決策は必ず自分の足元にあるという意味で使われる言葉です。
既存の製品やビジネスモデルでは限界を感じ始めた企業の多くが「イノベーション」という言葉を手がかりに、しきりに外部との連携を模索しています。
いわゆる「オープン・イノベーション」の流れです。自社や、各個人自分の中に「これをやりたい」というような確固とした軸がある企業や人間は、オープン・イノベーション的なアプローチで外部と積極的に繋がっていくことができると思います。
しかしながら、自分自身の中に確固とした「これをやりたい」という中心軸が存在しないのに、自社のリソースを使って解決策を外部へ求めて、外部の企業やベンチャー、個人などと繋がっても、最初は新しい技術や価値に触れて、ワクワク・ドキドキなのでのでしょうが、結局「楽しかった、で、結局なにか新しい事業は生み出せたのか?」という問いに対して、「否」で終わってしまうのではないかと感じています。
結局は、企業でも、個人でも自分自身の中心軸である、「これがやりたい」がないと、いくら繋がってもコラボレーションはできないのではと感じています。
脚下照顧(自分の足元を見つめ、自社の価値を見つめる)
我々はこれまで、中小企業や大企業の中で新規事業を模索する経営者や担当者に向けてZENSCHOOL(ゼンスクール)を提供してきました。そのように新規事業を志向する方は、必ずと言っていいほど新たなものを求めて「外へ、外へ」と外部へアンテナを伸ばし始めます。
しかしながら、外へ行っても見つかる新規事業のネタを見つけることはほとんどなく、どこかの企業がすでに実施しているようなビジネスを参考に事業計画をつくると、すでにそれは他社が先行している上に、自社にはそれほどの強みがないことから、途中で頓挫してしまうという事例をたくさん見てきました。
ですから、新しい物を求めて外につながるよりも、これまでやってきた自社や自分の仕事を丁寧に腑分けし。その価値をもう一度整理し、再定義して、自社の価値を自分で認識することがオープンイノベーションを行う意味において非常に重要だとおもわれます。
ただ、大企業の場合は、手がけてきた仕事や分野が非常に多岐に渡るため、自社の価値というものを再定義しようとしてもボヤけてしまうかもしれません。
その場合には、その業界でも1位以外の事業分野の自社の価値をあえて切り捨て、自社の価値を徹底的に絞り込むことが重要だとおもいます。
また、担当者も自社の価値を夢の中でも語れるぐらいに腹に落とし込んだうえで、外部とのつながりを模索していけば、自社に新たな価値を提供してくれるベンチャーや異業種と繋がれる可能性がでてくるとおもいます。
Me-tooイノベーションと内的イノベーションの成長の仕方の違い
優れたアイディアや、技術などを外から調達する方式のMe-tooイノベーションと、すでに自社もしくは自分個人がもちあわせている自社の技術や価値をベースにするビジネスの成長の違いを考えてみましょう。
Me-tooイノベーションの場合はすでに他社が先行して生み出した製品やサービスを模倣しつつ、 かつそこに自社の経営リソースを組み合わせることでイノベーションを起こそうとします。
この手のビジネス・イノベーションにおいては、すでに先行したビジネスの「お手本」の参考情報が多々有るため、製品やサービスの完成度・クオリティの立ち上がりは比較的早くなります。
立ち上がりが早いので、Me-tooイノベーションをウサギのイノベーションとも言い換えることができます。
ただし、大元の企業が持っている製品に関する確固たる理念がなく、すでにある製品・サービスをいわば模倣した「劣化コピー」にすぎないため、立ち上がったあとの製品のクオリティ向上や、その製品やサービス自体がダイナミックに変化してオリジナルを超えるほどの価値を生み出すということは望めません。
また、「劣化コピー」であるMe-tooイノベーションのビジネスは、すでに先行者も多いため、レッドオーシャンへ突入し、早い段階で市場に淘汰されてしまう可能性も高くなります。
イノベーションにおける「カメ」が「ウサギ」を抜き去る点が「特異点」
それに対して、内的イノベーションから生み出された製品やサービスは、最初のコンセプトは「????」という感じで、ロジカルシンキング的なアプローチから見れば、どうしてそれが成長可能で、持続可能なビジネスになり得るのかわかりません。つまりは「儲かりそうもない」ビジネスに見えるわけです。
また、最初は「儲かるビジネス」にはとても思えないので、利用できる経営資源も、支援してくれる人々もそれほど多くは集まりません。ですので、少ない資源でコツコツと開発を続ける「カメのイノベーション」とも言えるでしょう。
例をあげれば、その昔ソニーさんが、その当時では画期的な、再生に特化した超軽量の音楽プレイヤーである「Walkman」を生み出した時、それまでは録音機能の無いカセットレコーダーは常識外でした、さらにそれをステレオヘッドフォンを使って歩きながら聞くというライフスタイルもありませんでした。
したがって、仮に競合他社である他の電機メーカーがそれに近いアイディアを持っていたとしても、ロジカルシンキング的に考えて「儲からなさそう」であるために早い段階で手放してしまったのだろうと思われます。
しかし、この企画に情熱を持った開発者は周囲の反対を押し切って、カメのように、じわじわと、コツコツと開発を続けます。最初は『????」なアイディアでも、コツコツと持続的に開発を続けることで、製品としてのクオリティや、提供する付加価値が徐々に上がっていきます。
そして、内的イノベーション(カメのイノベーション)の持続t的な開発努力の総量が一定レベルを超えた段階で、製品クオリティは指数関数的に一気に上昇をします。そして、Me tooイノベーション(ウサギのイノベーション)で生み出された製品のもたらす付加価値も一気に抜き去るポイントがきます。わたしはこれをイノベーションにおけtる「特異点」と呼んでいます。
このイノベーションの「特異点」を超えた内的イノベーション(カメのイノベーション)によるビジネスは、Me-tooイノベーション(ウサギのイノベーション)により生み出された製品のクオリティーや付加価値を一気に抜き去り、新たな市場を生み出し、その後長きにわたりその市場を支配することができる可能性を持っています。
それぞのれイノベーションの特徴
独自性
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持続可能性
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外からの批判に対して
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Me too イノベーション
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低い
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低い
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弱い
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内的イノベーション
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高い
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高い
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強い
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Me-tooイノベーションによりうみだされたイノベーションは、 外部の情報をもとに生み出されたイノベーションであるので、 当然「どこかで見たことあるな・・」というような製品やサービスの劣化コピーのイノベーションであることが多い 。 当然競合も多くレッドオーシャンである市場に巻き込まれるので、 持続可能性は低いのです。
また、ロジカルシンキング上一見儲かるビジネスに見えるので、社内からの批判は少ないのであるが、仮に社内から批判を受けた場合は、企画者自身がオリジナルで生み出したイノベーションではないので、最後の最後で脆弱であることが多く、「儲からないからやめてしまえ」と、簡単にピボットを繰り返したり、あっさり事業を撤退してしまうことが多いのです。
一方、企画者の内的なワクワク感や、コンプレックスから生み出された内的イノベーションの場合は、自分の外には無い完全なるオリジナルな情報からうみだされたものなので、独自性は高いのです。そのため、市場じたいに競合がなく、ブルーオーシャンであることがおおく、一旦成功すれば長い間その市場を独占する可能性があり、持続可能性は高いと考えられます。
また、「一見儲からなさそう」なビジネスイノベションであるので、社内・社外からの批判はかなり多いが、個人的な意思がビジネスの根幹にあることが多いのて、多少の批判にはめげずに、じわじわとコツコツとシャドープロジェクトのごとく開発を続けることができるので、批判に対して比較的強いのです。
以上、ここまで書いてきたことは、われわれが中小企業向けイノベーション講座であるzenschoolを16回積み重ねてきて5年間にわたり経験を積んできたなかで得られた知見であるのですが、最近では参加者に大企業のイノベーション担当部署の方も参加しており、中小企業も大企業も全く同じ現象が見受けられるので、それなにり普遍性が高い考え方であると感じています。
このブログで書いたことは、すべてzenschoolを実施してきたことを参考にして生み出された知見です。zenschoolがどのようなイノベーション講座なのか、ご興味がある方は毎週火曜日の夜、体験会を実施しておりますので、参加いただければ幸いです。
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