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zenmonoと禅の関係、それを生み出した理由。

zenmonoを今年生み出した理由と、来年の目標を今年最後のブログにしたためたいと思う。

まず、”makes' paltform zenmono”の以下ロゴを以下ご覧頂きたい。

 これは「ある人物」が坐禅をしている図である。そして、その「人物」が坐禅中に、肚(丹田)のあたりからあることに気がついた瞬間である。

 この、ある人物とは、わたし「三木」である。実はこれは、zenmonoを思いついたその瞬間を表したロゴなのである。わたくしの趣味のひとつは、自宅で毎朝行っている坐禅である。

 坐禅中にあることに気がついたこととは、

 それは、目に見える「お金」という資源と、目に見えない「共感、支援、感謝」など平等扱い、集める事ができるプラットフォームが必要だということだ。

 実は、その数ヶ月前から、すでにあるクラウドファンディングを行っている業界の方々との交流が数多くあり、クラウドファンディングを構築する構想を練っていた。しかし、クラウドファンディングはすでに数多くある上、クラウドファンディング業界の方々と話をしていて感じていたある違和感がわたしを、この業界に参入することにストップをかけていたのだ。

 その違和感とは、「お金」という資源さえ集まれば、プロジェクトを達成したい人々の夢は叶えられ、全てはうまくゆくというある思い込みである。それはクラウドファンディング業界関係者からも受けていたし、その方々に自分も影響を受けてしまっていたことへの違和感であった。

 本当に、「お金」だけ集まればプロジェクトは全てはうまく行くのだろうか。

 我々がそれまでに体験していた、モノづくり業界における「鍵」は、「お金」は重要なファクターであるが、「お金」だけでは完成度の高いモノづくりは実現できないといううことである。こちらのコラムにも書かれているように、先行している米国において、有名なクラウドファンディングサイトで資金的100%集まったものの、最後まで遂行されているプロジェクトは過半数ということも言われているらしい。また、こちらのレポートではindiegogoやkickstarterで過去に成立したハードウェア系プロジェクトがこれだけデフォルトしているというデータなどがレポートされて話題となっている。
 
 我々の経験から、完成度の高いモノづくりの「鍵」実はモノづくりに協力してくれるたくさんの町工場さんや、デザイナーさんや、マーケティングの支援をしてくれる人、販路開拓を支援してくれる人、その他多くの人びとの共感と協力であった。このあたりのことは、CAREER HACKさんのこちらの記事に取材されているので参考にしてほしい。



 ここで、突然だが、「奇跡のリンゴ」で有名な木村さんという方はご存知だろうか?リンゴ農家として、農薬に敏感な奥さんが苦しんだことをきっかけとして、無農薬でのリンゴ栽培は、「神の領域」と言われるほど困難な事だったそうである。

 完全無農薬のリンゴ作りにチャレンジし、11年間もの地獄のような極貧生活を体験し、リンゴの無農薬栽培を完成し、現在では自分の発見した無農薬農法を日本だけではなく世界に広めようと奮闘されている方である。

 木村さんの著書を何冊か読ませていただいたが、この成功の裏には木村さんを支えた、奥さんや子どもたち、木村さんの義父の励まし。そして「かまどけし」(ごくつぶし)と言われた木村さんを応援し続けた、数少ない友人の存在だったのだ。そう、「人とのつながり」「人の支援」がこの奇跡的な偉業の鍵だと感じている。

 仮に何らかのかたちで木村さんに膨大な「お金」が集まった場合を考えた場合、奇跡のリンゴは生み出せただろうか。仮にリンゴの無農薬栽培ビジネスとして考えた場合、投資的な視点から、成立し得なかっただろう。「お金」だけを頼りに、11年間もの間試行錯誤を続けることはできたかといえば、おそらく途中で諦めてしまったのではと感じるのである。

 「農業」というのは自然相手なのでとにかく時間がかかるもなのである。様々な試行錯誤をして、あるトライの最終的な結果が出るのは1年後という、気の遠くなるような長い時間の試行錯誤が必要なものである。

 そのような気の遠くなるような試行錯誤を木村さんがくぐり抜け、奇跡といわれるリンゴの無農薬栽培を成し遂げたのは、人の共感、サポートがあって成り立つものである。もちろん、そこには何らかの金銭的な支援があったほうが良かったのは間違いないが。。



 クラウドファンディングというと、ファンディング(資金調達)という意味で、「お金」だけに焦点をあて過ぎるというのが、わたしの違和感であった。

 だから、あえて自分たちのサービスをクラウドファンディングではなく、makers' platform (メイカーズのためのプラットフォーム)と呼んでいる。

 冒頭に述べたわたしの違和感は、人々が企画したプロジェクトを達成するために、「お金」という資源に焦点があたり過ぎてるというものであった。 お金は事業をする上で、最も重要な資源である。しかし、「お金」以外の資源も同じく重要である。だから、メイカーズプラットフォームにおいては、「お金」と「お金以外」の資源を平等に取り扱い、お金以外の資源も集められるようにした。

 「お金」は数字としてストレートに表現できる。だから、世間の注目は「目に見える成果」としての「お金」に集まりやすい。だから、人々は目に見えない様々な資源にも同じく価値があるということを忘れてしまうのだ。

 昨今、シリコンバレーでも自分の脳の機能の最大化として「禅」が注目されているということである。禅により脳の機能を最大化することで、優れたアイディアを自ら生み出すことができる。

 優れたアイディアがすぐに「お金」という資源に結びつきやすい、IT業界だからこその方法論としての「禅」なのであろう。禅を通じて生み出した優れたアイディア→優れたITサービスのビジネス化→目に見える「お金」という富の獲得というシンプルな思考の流れを追求しているのだろう。

 しかし、世の中には目に見える「お金」という資源だけではなく、「子供を思う親の気持ち」や「誰かが誰かを恋する気持ち」など目には見えないけれども、確固としてと存在している貴重なものもたくさんある。

 zenmonoに掲載する事業や、プロジェクト物事をうまく成就させるために重要なことは、「目に見える」資源としての「お金」、「製造設備」などの資源と、「目に見えない」資源である、「人の共感」、「人からの支援」、「人を想う心」、「感謝の心」などもプロジェクトを達成するための重要な「資源」と考えて同じようなハンドリングを行うことなのだと思う。

 われわれのzenmonoでもこの部分は、狙い通りにうまく機能しているとは言えないので、日々カイゼンのために試行錯誤(木村さんを見習って粘り強く)がつづいている。しかし、上記のような考えをもって、プラットフォームを設計していけば、からずワークしてくれるものであると考えている。



 (zenmonoのサービス・コンセプト図)

 「禅」がシリコンバレーなど世界にひろまりつつあること、すなわち日本人がこれまで大切にしてきた、「目に見えない世界」のことが現実社会の「目に見える世界」にどれほど大きな影響を与えるのかということに、感度が高いシリコンバレーという地域に集まっている人々が気がつき始めた証拠なのであろう。

 偶然なことに日本で最初に建立された、禅寺である建長寺がわたしが住んでいる鎌倉にある。また、鎌倉の周辺には多くの禅寺が存在している。その鎌倉からzenmonoが生み出されたことも偶然ではないとも感じている。禅を通じて生み出されたzenmonoが、かつては世界の人々が兼ね備えていた「目に見えないもの」を感じ取る能力とその価値を世界にもう一度広めるということがわたしの来年以降の大きな目標になるであろうと感じている。

 来年は、zenmonoを英語化する予定である、そして、この鎌倉の地から世界の人々に日本のプロダクトと日本の文化、そして「目に見えない価値」と「お金」を平等に扱う重要性をより知ってもらおうと考えている。シリコンバレーにも行ければよいのだが。。

2013年12月30日

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