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1月, 2010の投稿を表示しています

Twitter:「王様の耳はロバの耳」

Twitterというメディアに関して、実際に自分でも使ってみて感じたことなのだが、これほどシンプルでこれほど効果的な意見の吸い上げシステムはいままでなかったと思う。 現在、ユーザーが爆発的に伸びている(特に日本・アジアで)Twitterだが、わたしが最初に登録したのは、約1年3ヶ月前の2008年4月5日ということになっている。 その当時は、全く日本語ユーザもほとんど存在しておらず、いったいこの仕組の何がすごいのかが、全くわかってなかった。 その当時は殆どが海外ユーザーであり、交わされるつぶやきも、ほぼ全て英語であった。 しかしながら、日本語ユーザーが増えるにつれて、そのメディアとしてのすごさを実感するようになってきた。Twitterは巨大な井戸端会議である。会話もあるが、殆どが聞き流しだ。 しかし誰かのつぶやきの中に重要な意味が込められていた場合、そのつぶやきは童話、「大様の耳はロバの耳」とおなじく、たくさんの人にReTwittという形で呟かれるのだ。 このReTwieetの機能は当初はサービスには実装されておらず日本では2009年1月から実装された機能だ。 簡単にいうと、誰かのつぶやきの中から、良いコメントがあった場合、このReWieetボタンをおすことで、他の人のタイムラインにもそれが表示される。そのタイムラインに掲載されたつぶやきを、また気に入った人がいれば、再度ReTwieetされるいうように、口から口へと重要な情報が伝達されるという仕組みだ。 まさに口伝であり、噂が広まるのと同じだ。 ただ、この情報の伝達には万人のフィルタリングという機能がある。 この万人のフィルタリングの中で、偏った考え方、間違った情報は自然とタイムラインから脱落することで、情報の精査がおこなわれる。 逆に、正しい情報 正鵠を射た表現はタイムラインの上に何度も表示されることで、多くの人間の目にふれることになる。、 イソップ童話で描かれた床屋の主人公は、たまたま王様の耳がロバの耳であることを知ってしまう。きつく口止めされるが、どうしても我慢しきれずに井戸の底に大声で、「王様の耳はロバの耳!」と叫んでしまった。 Twitterという井戸の底にむけて、日ごろ言えない「そうなんじゃないか・・」という正論を大声でつぶやいたら、みながその正論をRe

中小製造業を救う「企業分割」という手法

現在支援している中小製造業で、財務内容があまりにも悪く、新規の融資や投資を受けられない会社がある。 新規の融資・投資だけではなく、大手メーカーとして取引をする場合、財務状況をチェックることがほぼ100%なので、新規で取引できる可能性は極めて小さい。 この会社の持っている技術の「たね」は相当良いものを持っている。 その技術は非常に簡単に量産化でき、しかも、その製品を量産し、リリースした時の社会的なインパクトは計り知れないというような技術である。 日本の中小製造業のなかで、そのような素晴らしい技術の「たね」を持ちながら、これまでに累積してきた債務が重くのしかかり、新規の融資や投資などを受けられないという会社かなりあるのではないか。 そのような状況に直面したとき、解決策としての「企業分割」というものがある。これは、中小製造業の再建に数多く携わってきた当社の顧問からの提案であった。 この手法は、会社を「良い会社」と「悪い会社」にわけるのだ。 「悪い会社」には債務を残し、その会社から知的財産やその他流動資産を「良い会社」に移転する。それらの知的財産権や流動資産の価値を計算し、それを現物出資として新会社からの株式100%を旧会社が取得するという方式だ。 「悪い会社」と「良い会社」のトータルでの価値は変わらない。 「良い会社」は知的財産としての営業権や特許権を資産として持つことができるので、それらを使って製品を生産・販売できる。財務的に身軽になった会社に新たなと融資と投資から資金を調達して営業活動を行う。 旧経営陣は「悪い会社」にそのまま残留し、新しい経営者を「良い会社」に設置する。技術指導や研究・開発などは「悪い会社」に対して「良い会社」が委託をする。 新たな投資で「良い会社」に利益が出た場合、良い会社から、悪い会社に研究開発委託費用を支払い、悪い会社の経営陣はそのなかのお金から、債務者に対して返済をすこしづつ行う。 もちろん、新会社である「良い会社」はIPOや売却も可能であり、その100%株式を保有している「悪い会社」は上場益や、売却益を得ることも可能だ。 この手法が使えるのは以下の条件が必要となる。 ・旧経営陣が現状の財務状況ではどうにもならないとあきらめ、覚悟を決めている。 ・持っている技術や製品の市場価値・技術価

「マス・モノづくり」の時代から「マイクロ・モノづくり」の時代へ

もうすでに、多くの方々が気がついているとおもうが、量産分野での日本のモノづくりの使命はおわった。 先日、30歳~40歳代の日本の錚々たる大手メーカーの購買部門の一線で活躍するバイヤーの方々が集う非公式の会に参加した。そこでの結論も、日本国内での量産案件はすでに終了しているという論が主力となった。 その会には業界、業種を超えた方々が集っていたが、それが議論の終着点ということはみなが見えていたとしても、恐ろしくてそのことに皆触れられないような雰囲気があった。 大手メーカーの第一線で「購買」という、モノの動きが一番見える部署の方々が、肌感覚で掴んだ動きから類推した結論も同じ意見だったのである。 これまでは、まだ、「国内においては、量産分野での日本のモノづくりの使命はおわった。」という自論が仮説であって欲しいという淡い期待があった、しかし、メーカーの方々の認識も同じであったということに、ショックを覚えた。なぜなら、これまでの仮説が現実化してしまったからである。 高騰する円と、中国をはじめとする安い労働力の生産拠点が勃興する中では、数十万というロットでの量産モノづくりを国内で行うことの、経済的なメリットはもはや無いと言った方が適切だろう。 国内での量産は終わったということであれば、これから数十万という大量ロットを主とするモノづくりから、数十~数千単位での 「マイクロ・モノづくり」 に日本の中小製造業をはじめとした製造業はシフトする必要がある。 少量生産のものを、できるだけ高い付加価値をつけて、販売ルートにのせることが、 「マイクロ・モノづくり」 である。それこそが、日本のモノづくりの火を残す最後の手段になるであろう。 仮に日本が、「マイクロ・モノづくり」の道を選択するとなると、付加価値が高く、1種類のロットが数十~数千という製品を生産・販売して利益を稼ぎ出すという体質になっていかなければならない。 そのバリエーションも、1000~1万種類もあればその中で大ヒットとなる製品もいくつか出てくるであろう。大ヒット製品は、国内から海外への生産へ委託されて行く。 そして、それらの「マイクロ・モノづくり」製品の企画・開発するのは、日本の大手メーカーではなく、動きの速いモノづくりベンチャーや中小製造業になると考えている。 しかしながら、これまで、

大企業にいる意味とは

本日、大手の製造業の購買担当者が集まる会に出席した。 2010年どんな年になるのかを、みんなで情報を出し合おうという会合である。 そこで、皆の口から出た言葉は、スキルをより高めないと、必要無くなる、つまりリストラの対象になるというまさに、危機迫る言葉だった。 高まる円高と、海外の安い労働力との競争。そう、国内で量産化するコスト的なメリットはぼぼ無い。 つまり、国内での量産化する案件はどんどん減っていって、必要無くなるので、国内量産工場で購買する仕事もなくなるということだ。 そこで出た意見としては、ルーチンの購買活動を行っている限りでは、購買業務そのものが、海外の日本語が堪能な外国人に替られてしまう。 戦略的な意志をもって、サプライヤー・設計者・品質管理・購買部門を精密にコーディネートすることが、これからの購買マンに必要とされる能力であると。 2010年間違いなく、大手・中堅は大リストラの波にあらわれる。そこではじき出された、技術者・購買担当者・営業・業務多くの人々が、いわいる企業内での経験しか無い。つまり自分たちが、自分たちの力で食べてゆく技能がないということだ。 2010年は、まさに、個人事業主元年といってイイだろう。 個人事業主として生きてゆくためには、どのような知識・知恵が必要か、どのようなインフラが必要か、それらを当社が提供することで、モノづくりの種をすこしでも国内に残すことができれば、当社の価値は十分にあると考えている。

社会起業家という生き方

先日、出身大学のあつまりで、社会起業家たちが集う集まりに参加してきた。 なぜ、当社が社会起業家のあつまりにお招きいただいた時は少々戸惑ったが、それにしても実に様々な方たちが参加していた。 集まりの中で様々な方が紹介される中で、この集いに参加したK先生(昔から知っているHBS出身の先生)にたいして、「社会起業家」って語源はどこからきたのですか?とたずねてみた。 「そもそもはイギリスのうんぬんかんぬん・・」 と説明をしてくださった。 そこで、ひとつの疑問を投げかけた。 松下や、京セラなど「世のため人の為」を掲げてきた企業は社会起業ではないの? そもそも、ほぼ全ての日本企業の企業理念の中には「社会貢献」や「人類の幸福」などの言葉がはいっているはずで、そういうことを言えば、日本は社会起業天国ではないかと。 先生はそこで、お答えには困ってしまったようで、明確な答えをいただけなかった。 また、K先生は、このようにもおっしゃっていた、JALが破綻して、その破綻の原因探しをして責任をお互いになすりつけ合う大人たちが多い中で、「自分たちのことを自分たちで何とかするんじゃい!」と小さいながらも行動をおこしているこういう人達がいると思えば、まだ日本も安心だと。 その同じ会場で、Kさんという後輩に偶然で会った。 藤沢で、老人のDAYケアを支援する会社を立ち上げた人間だ。たまたま同じゼミの後輩という立場にいた彼だが、大学院在学中の10年前からその活動をおこなっている。 その当時にはまだ日本には社会起業家という言葉はなく、ボランティアに近い活動なのだなと記憶していた気がした。 その後輩と話をしたが、DAYケアやその他医療にかかわる仕事を続けて行くうちに、自分に医学的な知識がないことに限界を感じ、現在では医学部を目指して勉強中だと言う。 10年、だれの助けも借りずに一つのことを貫くには、本当に自分が何を求めているのかという心の声をきかないと継続は難しい。彼は、その自分の心の声を正直に聞いて、実践してきた。だからこそ、軸がブレないのだとおもう。 最近では巷で「社会起業家」と言う言葉が確立され、注目も集まっているようだが、本当は彼のように地道で目立たなく、自分の軸をずらさずに道を切り開いてきた先輩の存在が大きいのだと思う。 彼は後輩だが、人間としてはぼくの何倍も大きな人間だと思う。そして尊敬をしてい

Twitterというメディアの特性

最近、Twitterがホットである。 なぜ、ホットなのかというと、このメディアが初期のインターネットに非常に近い感覚だからである。 日本でインターネットが導入され始めたころ、1992年頃だったか、NiftyやCompuserveのようなパソコン通信経由でTelnetを起動しそこからインターネットにアクセスしていた。 Telnet経由でNASAのコンピュターなどにアクセスしていた頃が懐かしい。 その頃は、Internetというわけのわからないものを協力してお互いに学習しようという風潮が強く、ちょっとしたMLなどでインターネットに関しての討論会や集まりなど企画すると、あっという間に20-30名の見ず知らずの人々が集うことができた。 互いに顔は知らないが、Internetというものに皆同じ興味関心をもっていたことである。 Twitterの今も同じような「のり」で、だれかが、Twitterに関して議論しようとつぶやくと、それこそ2~3日の告知で数十名が集まるというような現象が昨年末からかなり頻繁に起きるようになってきている。 昨年からのTwitterユーザーは、イノベーターというカテゴリーで、今年に入ってからアーリーアダプター化しつつあるという印象をうける。 今週の週刊ダイアモンドでTwitter特集をすると聞いているので、そうなると、一気にアーリーマジョリティーへすすむのではないか。 もう一つ、このTwitterというメディアの特性は、その個人の本質がもろに出てしまうということである。BlogやWEBサイトよりも、短い時間軸で動いているので書き込んでいるユーザーの本音・本質がでてしまうということである。 Blogは、いろいろと推敲して書くことができる、しかしTwitterは脊髄反射的に書きこむので、嘘はかけない。WEBやBlogにくらべて、きわめて嘘をつけないメディアなのだ。 enmono社では、この嘘のつけないメディアとしてのTwitterを極めて重要視しており、enmonoサポーターのつぶやきも、いずれenmonoサポーターページから閲覧できるようになる予定である。このtwitter情報をたよりに、サポーターのある程度の質も判断していただけるようにしていきたいと考えている。 仕事においても、最初だけお付き合いしただけでは、その人間の本質は見えず、長い時間軸で、その人間

オフィスという固定費を持つ意味

当社は製造業支援を生業にしているが、オフィスは特に決まった場所はない。 というと語弊があるかもしれない。あえて言えば、PCの中がオフィスである。 基本的な情報共有は、メールよりもチャットが多い。また、FAXと電話は固定電話にかけると携帯に転送される。 従業員同士のファイルのやりとりはDropBoxというクラウド上のサービスでつねにシンクロさせている。 グループウェアは、Googleカレンダー、メールはGmail、名刺管理はEvernoteというドキュメント管理専門のクラウドウェアを使用している。現在の名刺は、パートナーの宇都宮のものも含めて5000枚以上ある。これらは、Iphoneから全て検索可能だ。 これらのアプリケーションは原則すべて無料で使える。 ワード、エクセル、PPTなどはもちろん購入したものだが、複数で共有するファイルは、GoogleDocumentsで共有している。 また、オフィスも午前中は自宅で作業を行い、東京・横浜とその日の打ち合わせ場所に近い場所を選択できるバーチャルオフィスを借りているので不自由はない。会議室は1時間500円を支払えばつかえるという次第だ。 登記のみ、実家のアパートの一室に登記してあるが、それもほぼ倉庫のような状態だ。 バーチャルオフィス・電話代・FAX代・登記している場所の賃料をあわせると約1万円が固定費だ。 製造業の場合は、設備の維持管理という意味で工場を持つ必要がでてくる、しかし、製造業の方々にお仕事を依頼するような事業形態や、ある種の知的生産をおこなうような事業形態の場合は、もはやオフィスさえ無駄になっていると言わざるをおえない。 知的生産をおこなう事業体は、この時代に、オフィスという高い固定費を支払い、生き残れないだろう。 固定費のある・なしが大きく効いてくるからである。 企画がに詰まった時に、自宅近くの無線LAN完備のカフェにゆくと、驚くほどに仕事が進む。人間の脳は外部の環境変化に大きく左右されるようだ。

体験しないと理解出来ないこと

最近、支援先の中小製造業に投資を集める仕事に注力している。 で、「お金」と聞くとなんだか胡散臭いと感じる御仁がいらっしゃるようで、あなたはそのような仕事はすべきでないと真顔で親切にアドバイスをいただいたたりスルこともある。 大体そのような方は中小企業を体験されたことがない方で、中小をめぐるお金の厳しさはとんと体験したことがない方が多い。 確かにモノづくりも困難をきわめることは理解できる、だが中小にこの時代にお金を投資するように働きかけるのは、本当に至難の業ということも理解してもらいたい。 仕事はお客があることが前提だ、その次に資金だ。しかしその資金を一般の金融機関から集めるのは至難の業だ。資金がなければサンプルも作れない。サンプルがなければお客も付かない。悪循環のお出ましだ。技術がいかに優れていようと、それは関係ない。 お金と言うものは、いかに楽に稼げるのかというところに流れていってしまう。 でも、その逆に、今みんなが張っているのと逆にかけることで、大きなプロフィットを得ることができる。これも真実だ。我々の仕事は、その可能性を極力わかりやすく、投資家に伝えることだ。それが使命だ。