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海外資本と日本製造業のマッチングの流れ

現在、台湾・中国の投資家から日本のすばらしい技術を持っている会社への投資案件を進めている。

本音を言えば、極力国内のファンドやエンジェルに頼りたかったが、数社をまわって、日本の金融機関はどこも凍りついてしまっていることを体感し、国内は諦めた。

海外ではモノづくりで成功して財を成した中堅・若手の経営者が多い。
そういう事業家であればモノづくりはわかるし、ある程度資金はあるしということで、日本の製造業に注目しても当然だ。

これが、国内に目を移すと、成功した事業家もITを中心としたエンジェルが多い、もちろん老舗は製造エンジェルだが、大きなロットをもとめようとすると、自然とITで上場した事業家に行き着く。

当然、モノづくりに関しては素人だ。こちらの話を理解してもらうのが一苦労。モノづくりに関するシンパシーもない。

リアルタイムでモノづくりをやっている、台湾・中国の投資家は、その分話が早い。

日本の製造業の多くは、すばらしい技術をもっている。しかし、銀行・金融機関はまず話を聞かないというか話にならないことが多い。このギャップを埋めなければ、製造業の復活はない。

我々がそのブリッジになるとして、残された時間は本当に少ない。

投資案件を育て、それを基盤に次のモノづくりへの投資という、価値の連鎖を早く興していきたいと感じる今日このごろだ。

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会社を渋谷から鎌倉に引っ越したわけ

会社を渋谷から鎌倉に引っ越したわけ 〜鎌倉にマインドフルシティをつくる〜

 2019年1月、これまで9年間、東京の渋谷を中心に活動をしていた株式会社enmonoを鎌倉に引っ越した。渋谷では大変おせわになり、多くのネットワークができたので、非常に感謝している。しかし、ここ数年、なんとなく東京の雰囲気があわなくなってきたということに気がついてきた。

 わたしが代表を務める、株式会社enmonoは、これまで9年の間製造業を中心に、新製品開発とイノベーションを興すための学校、zenschool(ゼンスクール)を運営してきた。現在は卒業生として145名のイノベータを育成する会社になっている。

 中には富山県で伝統的な金型製造を営んでいた会社が、ぶっ飛ぶほどのすばらしいデザインの美術館になったり、東大阪で加工業を営んでいた会社のオーナーが、製造業の経営者限定の会員制のスナックを作ったりと、これまでと全く異なるビジネスを展開する事例が増えてきている。(卒業生のイノベーション事例はこちら。)

 そんな、ぶっ飛んだ発想にたどり着き、それを実現してしまう人たちは、かならずしも、デザインやアート、イノベーションのイメージが強い東京の青山、六本木、渋谷、秋葉原などのキラキラした場所に集う若者たちではなく、むしろ地方の工場や、飲食店などで地道にものづくりや、お客さんに美味しい食事を出そうと地道に努力している、手に職がある方たちなどであることに気がついた。
 そう、どちらかというと内向的で、自己表現がうまくない、いわいる「イケてない」人たちが多いということに気がついたのだ。しかし、そのような人たちは、実は自分の内側には巨大な創造性をもっており、その内発的な動機を発掘することで、非常にクリエイティブで情熱的になるということがわかってきた。

 いわいる「イケてる系」のクリエーターは、自分の外にある情報を効率的に収集し、編集し創造するのに長けているのに対して、「イケてない」系のイノベーターは、外部の情報ではなく、自分の内なる内発的動機にアクセスして、自分の中から創造性と情熱をとりだし、これまで全く見たこともなかったようなイノベーションを興すということがわかってきた。これまでの卒業生の傾向から「イケてない系」の方が圧倒的にパワフルで、かつ完全にオリジナルなモノが取り出せることに気がついた。

 活躍し…

「マス・モノづくり」の時代から「マイクロ・モノづくり」の時代へ

もうすでに、多くの方々が気がついているとおもうが、量産分野での日本のモノづくりの使命はおわった。

先日、30歳~40歳代の日本の錚々たる大手メーカーの購買部門の一線で活躍するバイヤーの方々が集う非公式の会に参加した。そこでの結論も、日本国内での量産案件はすでに終了しているという論が主力となった。

その会には業界、業種を超えた方々が集っていたが、それが議論の終着点ということはみなが見えていたとしても、恐ろしくてそのことに皆触れられないような雰囲気があった。

大手メーカーの第一線で「購買」という、モノの動きが一番見える部署の方々が、肌感覚で掴んだ動きから類推した結論も同じ意見だったのである。

これまでは、まだ、「国内においては、量産分野での日本のモノづくりの使命はおわった。」という自論が仮説であって欲しいという淡い期待があった、しかし、メーカーの方々の認識も同じであったということに、ショックを覚えた。なぜなら、これまでの仮説が現実化してしまったからである。

高騰する円と、中国をはじめとする安い労働力の生産拠点が勃興する中では、数十万というロットでの量産モノづくりを国内で行うことの、経済的なメリットはもはや無いと言った方が適切だろう。

国内での量産は終わったということであれば、これから数十万という大量ロットを主とするモノづくりから、数十~数千単位での「マイクロ・モノづくり」に日本の中小製造業をはじめとした製造業はシフトする必要がある。

少量生産のものを、できるだけ高い付加価値をつけて、販売ルートにのせることが、「マイクロ・モノづくり」である。それこそが、日本のモノづくりの火を残す最後の手段になるであろう。

仮に日本が、「マイクロ・モノづくり」の道を選択するとなると、付加価値が高く、1種類のロットが数十~数千という製品を生産・販売して利益を稼ぎ出すという体質になっていかなければならない。

そのバリエーションも、1000~1万種類もあればその中で大ヒットとなる製品もいくつか出てくるであろう。大ヒット製品は、国内から海外への生産へ委託されて行く。

そして、それらの「マイクロ・モノづくり」製品の企画・開発するのは、日本の大手メーカーではなく、動きの速いモノづくりベンチャーや中小製造業になると考えている。

しかしながら、これまで、中小製造業は製品を自ら企画・開発するという事をおこなってこなかったので、…

「はた(傍)をらく(楽)にする」を作り出すこと。大企業の大切な仕事。

我々の会社は、中小製造業が最終製品を開発して販売することを支援している。
もともとは、リーマンショックによって、大手メーカーが海外進出するに伴い、国内で失われてしまった仕事を、製造業自ら生み出し、それを価値として売ってゆくということを中小企業自らが行うことを支援している会社である。
今回の震災で、数多くの東北地方の製造業が失われてしまった。
その中には、水産加工業者もあるし、伝統的な工芸品を製造・販売していた会社もあっただろう。また微細で精密な部品を作っていた製造業もあるだろう。
会社や工場が失われたということは、それまでそこで働いていた人たちの雇用が大幅に失われてしまったということだ。
事実を淡々とつたえる、アナウンサーのように、「雇用が失われました」と一言で言ってしまうと、その言葉の背景にある数多くの意味が伝わって来ない。
目を閉じて、あなたが、ある日突然、何の前触れも無しに会社が津波で流され、「職を失う」といった状況になった場合、どのような感情を持つのか、想像してみて欲しい。
まず、感じることは、家族を養うための不安だろうか、家のローン返済や、子供の教育費用や、健康保険、国民年金のことだろうか。
あなたは、自宅も流され、避難所での生活を余儀なくされる。
一呼吸おいて、あなたが避難所で、毎日「うつうつ」として生活をしている状況を想像してみて欲しい。
避難所での生活も1ヶ月も経過すると配給される物資は日に日に数も増え、内容も充実して来る。
しかし、未来もみえず、そう、毎日、避難所で毛布にくるまってうつうつと過ごしている日々。避難所生活も1ヶ月を超えると、余震への恐怖よりも、自分が何もしていない事自体の恐怖が上回る。
そこには、本当に気の滅入る空間だ。ちょっとでもいい、この避難所から外に出て、世の中に為に、意味のある何かをしてみたい。そう感じるはずだ。
そこに、この避難所の近くの商工会議所に東海地域の中小企業から車に乗ったイキいい配電盤の製造・販売会社の経営者が来て、東北を立て直すための仕事づくりを一緒につくろうと声をかけてまわったという噂を耳にする。
働く場所は東海地方になるが、仕事も提供してもらえるだけではく、住居も提供してもらえるということ。また、将来的には、地元に戻ってもらい一緒に工場を運営してらいたい人を探していると。
最初は、本当にそんな都合の良いはなしがあるのかと半信半疑と感じ、…