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モノづくりのコアは「モノ」から「ソフトウェア」へ。そして、そこにある危機。

新しいモノづくりでは、間違いなく、ソフトウェアが重要になる。

先日、大手自動車メーカー出身の技術者の方とおはなしをしていた。

その方によると、高級車ではすでに組み込みソフトウェアのコード行数は1000万行を超えており、その数はますます増える傾向にあると。

おそらく2015年頃には、自動車の組込みソフトウェアの行数は1億行をこえるということ。

http://www.meti.go.jp/press/20100129002/20100129002-3.pdf

この膨大なソフトウェアの品筆管理を、通常のモノづくりの品質管理工学とおなじと捉えて管理することはすでに限界がきているということであった。

1億行というような膨大な数のコードを人間の目でチェックするのはほぼ不可能に近く、品質管理をおこなうためのツールはいくつか開発されている。

しかしながら、今回の大手自動車メーカーのリコールの問題は、この組み込みソフトの品質管理手法と、完成後のチェック体制に問題があったといわれている。

すでに、先端のモノづくりの競争ポイントは、モノからソフトへシフトしつつある。

はたして、現在の伝統的な製造業の開発部長クラスの人間で、ソフトウェア開発出身の人間が何人いるのか疑問である。

伝統的な「モノ」の品質管理は数々体験している人間でも、組込みソフトウェアの品質管理はまったくことなる次元であり、現在の大手メーカーの組織構造上、「モノ」出身の開発者が部門の上位ポジションをを務める限り、今回のような問題が繰り返し起こる可能性がある。

やはり、実際に、大規模組込みソフトウェア開発をしてきた人間が、事業部長クラスにならない限りは、組込みソフトウェアの品質管理問題はまだまだ発生する可能性が大いになると考えるべきであろう。

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